ホーリー最激戦区ブリンダバンをゆく

インドの国民的行事 ホーリー。 この色粉・色水をかけ合う無礼講イベントを楽しみにしている外国人旅行者は少なくない。北インドで主に祝われるのだが、その中でもクリシュナの生誕地や幼児期を過ごしたとされているアグラー近くの4つの町(マトゥーラ、ブリンダバン、バルサナ、ナンガオン)では尋常でない盛り上がりを見せるらしい。ホーリー前日にデリーに戻った私は、カメラと財布だけを持ってマトゥーラに向かった。



旅行時期: 2009年3月中旬
為替: 1ルピー = 1.88円
作成日: 2009.06.02

目次


マトゥーラ

マトゥーラ (Mathura)はデリーからバスで2,3時間とアクセスがいい。行けばわかるだろうと思いガイドブックも読まずに来たものの、4つの町でどの日に特別な催しがあるのかよくわからない。バルサナ、ナンガオンはマトゥーラから結構遠いらしく、Lathmaar Holiという互いの村の男女が棒でこつき合うイベントを目当てに来たのだが、今回は断念する。オートリキシャによると、これらの町でのホーリーのイベントはすでに数日前に終わっているという。本気で言っているようなのだが、彼らが狭義のホーリー(特別な祭り)について言っているのか、広義(色粉をかけあう期間)のことなのかよくわからない。この地方の人たちは英語が通じにくく、欲しい情報が得られない。

これらクリシュナ聖地の町では、広義のホーリーは数日前からすでに始まっていて、マトゥーラでも既にピンク色に染まっている人を多数みかけた。利用したリキシャドライバーは既にできあがっていて、何を言っているのかよくわからない。結局、マトゥーラではクリシュナ生誕の地、クリシュナ寺院(Krishna Janmbhoomi)しか行かなかった。寺のホールの中ではクリシュナ像を拝観に来た大勢の人でごったがえしていた。カーテンが取り除かれ装飾されたクリシュナ像が現れると、みんな一斉に立ち上がりホーリーのテーマソングを歌い始めるのだった。

夕方に来たというのもあるが、ここまでのところ、”インドで一番の盛り上がり”感が今ひとつ感じられない。幸い一緒に並んでいたインド人から”ブリンダバンが一番すごい”、という情報を得た私は、その日のうちにブリンダバンに移動することにした。


写真: 上: すでに錯乱状態のドライバー。 左: 路上の色粉売り。 右: クリシュナ寺院のセキュリティチェック

ブリンダバン

ブリンダバン (Vrindavan)はマトゥーラから11kmと近く、乗り合いオートリキシャ(tempo)が頻繁に行き来している。テンポ・ドライバーに連れられてISKCONテンプルという所に来てみたが、既に9時を過ぎていて閉門していた。適当な宿を見つけて翌朝に予定されているプージャに備えることにした。朝7時の開門と同時に入場し,白亜の建物の裏にある寺院に行く。ここでも、デコレートされたクリシュナ像を見ようと大勢の人が歌を歌いながら待っていた。クリシュナ登場の時間が近づくにつれ歌と手拍子のテンポも速まり、まるでサッカー日本代表の応援団のようなテンションになっていく。3体の像 のカーテンが順番に取り外されると盛り上がりは最高潮に達した。 


写真: 左: ISKCON寺。開門前の行列。 左: TV中継車も行列。

昨晩から気になっていたが、ISKCON寺にはやたらと白い瞑想着を着た外人を目にする。最初は私と同じ観光客と思っていたのだが、聞いてみるとヨガのセミナーに来ているという。ISKCONはニューヨークで設立された団体で正式名称はInternational Society for Krishna Consciousness(ISKON, Hare Krishnas)。結構有名だそうで敷地内にはホテルのようは宿泊施設もある。テンポ・ドライバーが私をここに連れてきたのは、この寺がホーリーで有名だからというよりは、単に私が外国人だからということだろう。

ISKCON寺前の通りには、色粉の屋台が一定間隔で並んでいるものの、いたって静か。激しい戦いはどこで行われているのか期待は高まる。今日はホーリー当日で多くのインド人巡礼客がブリンダバンに来ている。昨日のうちに大型バスでやってきて、朝から寺院めぐりするのだ。みんな徒歩で移動しているようなので、人の流れについていく事にした。


写真: 左:色粉の量り売り。右: 在庫は十分。地元民、参拝客両方が買って行く。

補足

いざ戦場へ


ISKCON寺の周辺は土産物屋などがあり、色粉のかけあいはなく穏やかだ。しかし、すこし離れるとしだいに戦場の様子を帯びてくる。ここでの戦いの図式は基本的に、現地人 vs 巡礼者。巡礼者は寺から寺へ移動するので、主要な道沿いには大量のカラーパウダーを準備した現地人が、通り過ぎる人々を待ち構えている。最初は距離を置いて走り抜けたりして余裕だったのだが、すぐに自分の見通しの甘さに気づくことになる。Banke Bihari寺への曲がり角が近づくにつれ敵の数と戦闘能力が急にレベルアップしてくる。まずは背後から子供にスプレーの攻撃を受けズボンを汚された。しばらくすると、3人組みにすばやく取り囲まれ帽子を取られた。取り返しに行く過程で頭にピンクと黄色の粉を大量にかけられる。その後、Tシャツを破られたり顔全体に色を塗られたりしながらも、なんとか歩き続ける。

ここまで攻撃を受けると、”色粉OKな人” と思われるようで、すれ違う男性巡礼者からも、Holi Hai(今日はホーリーだ)の掛け声と共にガンガン粉を浴びせられる。巡礼者も、特に若い人は現地人に負けじとワイルドだ。粉を高見盛ばりに大量に投げる人、花さか爺さんのように所かまわず撒き散らす人、現地人に倍返しする人などあなどれない。それでも注意すべきは道で待ち構える現地人で、彼らの武器の量、多様性、兵力共に巡礼者側を圧倒している。サイクルリキシャで移動しようものなら絶好のターゲット。既にピンクに染まったドライバーとインド人家族が、両側からさらに攻撃受けながら進んでいく姿はなんともシュールだ。

写真: 道沿いの現地人攻撃 上:家族連れ、下: 女性にも手加減なし。

ホーリーの中心


何の予備知識もなく、Banke Bihari寺に到着し、目を疑った。寺の内部では全身粉まみれの数百人の男性が正面ステージに置かれたジャガンナート像に向かって粉を投げ、祈り、歓声を上げている。これこそが、私が抱いていたホーリーの現場だ。今まで訪れた寺はセキュリティチェックが厳しく、カメラも色粉のかけあいも禁止されていたのだが、この寺は何でもあり。中に入ってしまうと、粉だらけでカメラを取り出せる状況ではないので、先に脇の裏口から入りなんとか横からの写真を撮る。2階では、カメラクルーが数人撮影している。

私も近くの売店で粉1kg 50ルピー(ミニマム)を購入し、中で参拝しすることにした。靴を預けて正門から入ったものの、人が多すぎて最前列の柵までたどり着けない。ステージのプリストが、節分のような感じで観客に花輪やら何やらいろんな物を投げている、または投げ返している。それをキャッチしようと人が前へ前へと押し寄せて大変な混雑となっていた。


   写真: 上: ステージ方向に押し寄せる人達。ピンク色の粉が飛び交う。 
   下: 祈る人々。
表 紙: 裏口でカメラクルーに手を振る人々。

補足

Jagannath


ヴィシュヌの化身。Load of the Universe。Puriが有名。

  • この盛り上がりはホーリー当日だけなのか、期間中、一週間ほど行われるのか不明。

Banke Bihariの中の様子

 


帰りも地獄

 

自分のイメージするホーリーを目撃できたのはよかったが、ここからメインの通りに戻るまでが、最も危険な戦闘地域なのだった。この時すでに、破れたシャツをターバンのようにかぶり上半身裸という、敗北感丸出しの状態。Banke Bihari寺入口からスナック屋台が並ぶ通りを抜けたT字路が最初の修羅場。左を見れば、屋上でバケツを構える人々、右方向を見ると、数人が水鉄砲とドラム缶いっぱいの水を持って通行人を攻撃している。どっちに進んでも被害は避けられない。一応ポケットのカメラはレジ袋で2重に保護しているが、それでも水攻撃は避けたい。そこで機転を利かせて人通りの少ない脇の小道に進入してみた。しかし、これがまた大失敗。悪ガキのゲリラ攻撃に捕まり、上半身に牛糞を塗りたくられてしまった。大人が止めに入ったので最低限の被害で済んだのだが。

なんとかメインの通りに戻り、水を買い牛糞を洗い落とす。さらに道を進み、十字路を左折し、Rangaji TempleやGovind Devのある大通りに辿り着いた。この辺りは道の幅も広く、両脇にみやげ物屋や軽食屋などが連なり、戦いの様子はあまり感じられない。やっと非戦闘地域に入ったようだ。 ここでTシャツと帽子を購入しやっと平時の姿に戻ることが出来た。

Rangaji Templeの中は広々としていて、穏やかな雰囲気。不測の攻撃もないので、カラーに染まった巡礼者の写真を取るのに最適。カメラを持ってい ると、オレを撮れ、と向こうから言ってくるくらいだ。

すぐ近くのGovind Dev Templeも行きたかったが、そこへ続く道には、これまたホースを持った敵が待ち構えている。ホーリー当日は全く観光には向いていない。赤く染 まった道路は戦いの跡を物語る。そこを突破するエネルギーはもう残っていない。

写真: 上:Rangaji Templeゲート前で記念撮影 下: Govind Dev Templeの前のホース部隊から逃げる人々。

補足

Rangaji  Temple



内部の黄金の柱(Golden Pillar)が見所。


戦いを振り返る

 

この日、これらの危険地帯に踏み入った外国人は私が見た限りでは3人のみ。ヨガコースに参加していると思われる瞑想着カップル。Rangaji Templeで見かけた白人の男性カメラマン。彼はTVクルー同様、カメラ本体をビニール袋で包んで撮影していた。顔面や上着がどういう状態になっていたかは言うまでもない。

本場のホーリーに十分満足した私はブリンダバンから撤退することにした。赤く染まった人々を10人ほど詰め込んだテンポは、時おり道端から攻撃を受けながらマトゥーラに向かった。バイクがどんどん追い抜いてゆく。悪の手下のような深緑色の顔をした若者、ニホンザル並みに赤い顔のオジサン、ポリネシア原住民のような派手なメークにされた人。なんともフォトジェニックなシーンが展開される。マトゥーラに到着した時すでに2時を過ぎていた。そこには普段と変わらないバス停の姿があった。戦いはもう終わったのだ。

現地の人に習って、バスターミナルの水道で顔や手足の色を落とす。顔面、手の平、足の裏は全体ピンク色、腕にはスプレーの跡、ズボンはペンキ屋の作業着のようにいろんな色がついていた。その日、ホテルでホットシャワーを浴びると、意外にもほとんど色を落とすことが出来た。ダメージはズボン、Tシャツ、帽子、引きちぎられた安物時計の4点のみ。この程度なら想定内だ。幸い人通りが多く、身の危険を感じることはなかった。

デリーに到着したのは夕方5時ごろ。メインバザールでは、大半の店は閉まっているものの、人通りも多く、いつもと変わらない様子だ。午前中にデリーのホーリーに参戦したと思われる外国人の姿がちらほら見受けられる。ダメージを隠そうともしない彼らの表情はどこか誇らしげだ。ホーリーの最前線、ブリンダバン、奇祭好きの皆様にもぜひお勧めしたい。

写真: 上: 帰路につく人々。 下:ピンクの次に人気のディープグリーン
Copyright (C) 2009 Sekakoh. All Rights Reserved.
inserted by FC2 system