シリケシ ビートルズアシュラムを攻略北インドのリシケシといえば、歴史あるアシュラムが集まるヨガやメディテーションの聖地。ガンジス川の両岸に大小多数のヨガスクールが建ち並ぶ。その中でかつて世間的に最も有名だったアシュラムが、見晴らしのいい丘の上に廃墟のまま放置されている。ビートルズが1968年に滞在したマハリシ・アシュラム (Maharishi Mahesh Yogi Ashram)である。 |
旅行時期: 2009年5月前半 為替: 1ルピー = 1.98円 作成日: 2009.07.01 目次
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リシケシ(リシュケーシュ)リシケシ(Rishikesh)の町はヨガの聖地というよりは、ヒンドゥー教の巡礼地としての色合いが強い。ヨガを習っている外国人より、寺院に参拝に来ているインド人観光客のほうがはるかに多い。彼らは川沿いに建つ寺院、アシュラム内の寺院、沐浴用ガートなどなどを訪れる。訪問すべきスポットが山ほどあるので、川にかかる2つの吊橋と両岸を走る乗り合いジープは、いつもインド人家族でいっぱいだ。それらの喧騒から逃れるため、アシュラムの多くは、道路沿いの崖の上に施設を作ったり広大な敷地を所有したりしている。今回の目的地、マハリシ・アシュラムも、ガンジス川をを見下ろす静かな丘の上に建つ。 写真: Lakshman Jhula橋 | ||
マハリシとビートルズビートルズががロンドンでマハリシ・マヘシュ・ヨギに会ったのが1967年。マハリシは、その時すでに、超越瞑想 (Transcendental Meditation = TM)で高い名声を得ており、世界中で講義を行っていた。 翌年2月、TMに感銘を受けたビートルズのメンバー全員が、3ヶ月コースに参加するためリマハリシのアシュラムに滞在した。いろいろゴタゴタがあり、全員コースを終了せずに帰国してしまったものの、リシケシとマハリシの名は広く知られることになった。 その後、マハリシが活動の拠点をオランダに移したのが1990年。税金対策でアシュラムを放棄したのが1997年。現在森林局の管理下におかれている。アシュラムは当時のまま放置されていて、行けは中を見学することができる。施設や土地の再利用計画が、たまにニュースになるが、まだはっきりした計画はわからない。 マハリシは2008年オランダの自宅で亡くなったが、TMの人気は今も衰えていない。 | 補足Maharishi Mahesh YogiTranscendental Meditation | |
アクセス吊橋のあるLakshman JhulaとRam Jhulaの両岸がリシケシ北部の中心地といえる。近くに有名寺院、アシュラム、みやげ物やゲストハウスが集まっている。 Ram Jhulaの東岸を川 に沿って南に進むと、時計台の辺りまで観光客向けの店が並ぶ、さらに進むとSri Ved Niketanアシュラムがある。しばらくすると、川原のそばに公園のようなものがあり道が左に折れる。この公園の後ろの丘に建つのがマハリシ・アシュラムである。中心街から離れているため、この公園をねぐらにしているサドゥー以外、あまり人通りはない。 施設の正門は、公園の左手側にある。現在、管理人がゲートに鍵をかけており、50ルピー(言い値)ほど支払わないと中に入れない仕組みになっている。公園から直接丘の上までいける獣道のようなものがあるが、見つかって門番に嫌われたくないので素直に料金を払って入場した。 写真: 行けば、門番が下りてくる。 | 補足
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情報収集さて、中に入れたものの、どこに何があるのか情報は少ない。事前に知り得た情報としては、
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メインロード門番のいるメインゲートから坂を上っていくと、丘の上の2つ目のゲートに到着する。ここから先は台地のように平らになっている。敷地の真ん中を一本の道が伸びていて、修行者の住居や瞑想施設など、主な見所は進行方向右側、道路と川沿いの崖の間に点在している。道沿いに進んで行くと、まず最初に3階建ての本部オフィスのような建物が見えてくる。 中は意外ににすっきり片付いており一部屋だけ書類の散乱した部屋があった。 さらに進むと、左側に体育館のようなレクチャーホールがある。 この建物、あまり目立たないのだが、長年の放置プレイの結果、壁という壁、落書きだらけになってしまった。 写真: 左上: メインの道とオフィス。セミの鳴き声をBGMに奥へ進んでいく。右上: 事務局内に放置された書類。左下: ホールのステージ側。右下: 天井が剥げ落ちて床に散乱。 レクチャーホールの後、道は少し右折し、メインの建物の方に向かって伸びていく。 | 補足第二ゲート近くのポスト。 レクチャーホール落書き: JR高架下風。 | |
メインの建物メインの建物に到着。4階建ての建物が2つ並んでいる。中はすべて宿泊施設で、廊下の両側にバス・トイレ付きの部屋が並んでいる。建物は台形型で、上の階に行くほど、部屋とバルコニーが狭くなっていく。1階の部屋が2LDKだとすると、4階の部屋は狭めのワンルームマンション。2LDKの部屋は広く、アシュラム参加者の一部は結構いい部屋に住んでいたようだ。屋上には、白いタマゴのような構造物が建っている。 写真: 上: メインの建物。 左下: 形は台形。上にタマゴ。 右下: 部屋の様子。屋上の巨大タマゴ。中に涼める部屋があり、一見特別な瞑想スペースのように見える。しかし、中から見ると普通の天井でドーム型ではない。また、水道パイプのようなものが天井から突き出ている。外側にかかっている梯子を上っていくと、頂上部分から中の上半分のスペースに下りれるようになっている。どうも洒落たデザインの貯水タンクだったようだ。 写真: 左上: タマゴとてっぺんにつながる梯子。右上: タマゴの内部(下部分)。 | 補足メインの建物 落書き: John, Paul, Ringo, George はーと タマゴ型給水タンク 落書き: やまだかまち風の牛 by Pete KilKenny |
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地下瞑想施設メインの建物を後にし、すぐ隣にある地下瞑想施設(medication cave)に行く。コンクリートの地面のように見えた土地は、実は、瞑想施設の屋根だった。 階段を下り、中に入ると小さな独居房のようなスペースが廊下の両側にずらっと並んでいる。各部屋にドアはなく、明かり窓のついた2畳ほどのスペースがあるのみ。全部で100くらいあるだろうか。やはり瞑想は洞穴でするものらしい。 写真: 左: 地下に並ぶ瞑想ルーム。 右: 角部屋は明るいが、他の部屋は真っ暗。 真っ暗な廊下をさらに進み、右折すると大きなレクチャー・ホールに出る。かつて、ここでマハリシが弟子たちに向かって講義をした歴史的な場所だ。全体的に荒れ果てているものの、講師用のステージは健在。 写真: 左: 正面ステージ。真ん中の白い台の上にマハリシが座りレクチャーを行った。 右: ホール内部 | 補足地下瞑想施設の上のコンクリート屋根。 明かり窓部分を外から見ると。 レクチャーホール落書き: 人生はパーティだ 勇 (日本語) | |
マハリシ邸宅メインの建物からゲート方面に少し戻ると、崖の端の部分に立派な一戸建ての家がある。すぐ下はガンジス川だ。広々としたテラス付きの一階建てで、手前には噴水まである。これはまちがいなくマハリシの住居だろう。 写真: 左上:マハリシの住居。一階に4部屋程度、地下室と屋上もある。 右上:
庭からの景色。 左下: リビングルーム 右下: テラス | ||
ドーム型瞑想施設マハリシ邸宅とゲートの間の、崖沿いのスペースにおびただしい数のドーム型の瞑想施設が点在している。この住居を兼ねた瞑想小屋こそ、このアシュラムを最も特徴づける建築物である。各小屋には番号が振られており、メインゲートすぐ近くのNo.1から始まり、マハリシ邸宅近くの小屋は100番を超えている。メインの建物に滞在できない、その他大勢の参加者は、このコンクリートの小屋に寝泊りし、修行に励んだのだろうか。 この奇妙な建物を詳しく見てみたい。入り口正面にドアはなく、中に入ってすぐ両側にドアがあり、片方に、トイレ・シャワー用の小部屋。もう片方に寝室スペースがある。寝室の壁には、窓2つと棚、電球が付いている。ベットを置く十分なスペースがないので、床にマットをひいて寝ていたのだろう。二階へ行くには、壁から突き出している階段を登る。二階は一階より少し小さめで、天井がドーム型になっている。二階は主に瞑想スペースとして活用される。 一階の部屋はよく見ると、円筒型ではなく、カタツムリの殻のような形をしている。ほぼ丸い寝室部分から、入り口へ続くスペースとトイレスペースが円の外側に沿って突き出している。たいてい2つの小屋が結合して建てられているので、このいびつな形にあまり気づかない。2つセットで建っている場合、トイレの部分を合わせるために、お互い反対向きに建っていてることが多い。その結果、隣の小屋の入り口は建物の裏側にあったりする。 典型的な瞑想小屋 (No.11)瞑想小屋をひとつピックアップして見てみよう。選んだのは第二ゲートに程近いNo.11の小屋 左: 正面入り口の上に赤い番号札。ドアなし。 右: 1F寝室部分はほぼ丸い 左: 中に入ると両側にドア。ドアが残っている建物は少ない。 中: トイレ、シャワー用の部屋(右側)。便器はたいていあるが、洗面台などは残っていない。 右:寝室から二階にのびる階段。 左: 二階部分。 右: 二階のドアから出ると、屋上スペースがあり、隣の小屋の二階とつながっている。屋上スペースの下はトイレと玄関スペース。 |
補足
崖沿いのものは川の眺めがいい。 単独で建つと、変な形 メインゲート近くのNo.1の小屋。坂の途中にある。これも単独物件。 てっぺんからホースが伸びている。 | |
さてビートルズはさて、ビートルズはアシュラムのどこに滞在したのだろうか。まずは、Johnが瞑想に使用したとされるNo.9へ。瞑想小屋は100以上あるが、No.9は番号が若いためすぐ見つかった。第二ゲートの真横。ここは川に近いわけでもなく、決して見晴らしはよくないが、ジョンが9という番号が好きなのだからしょうがない。 写真: 右から、ゲート、No.8, No.9, No.10...もちろんこの小屋は瞑想に使用しただけで、普段はもっといいところに住んでいた。 瞑想小屋の密集するエリアと本部オフィスとの間に、マハリシの家の次に豪華な住居がある。2階建てで、中は広く、二階通路や屋上からのガンジス川の眺めはいい。裏にはカッコいいバルコニーも付いている。確信はないが、ビートルズが滞在したのはここだろう。 写真: 左: 2階部分通路。広いアパートが4つ並ぶ。これでないとすると、メインの建物の低層部分か。 右:バスタブの跡 |
補足
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最後に廃墟とはいえ、建物はしっかりしており、ゴミが山積するようなきたない場所や、歩くのに危険な場所もない。セミの鳴き声をBGMにちょっとした探検家気分で散策できた。ここは、安心して楽しめる廃墟といっていいだろう。 管理人によると、この地にファイブスター・ホテルを建てる計画があるらしい。その時には、アシュラム跡は小奇麗に整備されてつまらないものになっているかもしれない。 60年代の空気をそのまま残す貴重な場所だが、賞味期限が近づいているようだ。まだ訪問されてない方は、お早めにお召し上がりください。
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補足
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補足
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