マラナ村の光と影長らく“秘境”と呼ばれてきたインド - ヒマチャルプラディシュ州のマラナ村。21世紀に入り村はどう変わったのか、検証してみたい。 |
旅行時期: 2009年4月前半
為替: 1ルピー = 1.98円 作成日: 2009.06.02 目次補足マラナ村の文化、風習
マラム村へのアクセス
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イントロ知る人ぞ知るマラナ村。マラナ村はクルー谷のナガールからパルバティ渓谷のジャリやカソールに抜けるトレッキングルートの途中にある。標高約2650mのこの村は他の町との交流が少なく、長年独特の風習と自治を守り続けてきた。民俗学的に非常に興味深い村である。もちろんマナラ村が世界的に有名なのは、この土地がチャラス(大麻の加工品)の名産地であるというのが一番の理由だ。マラナ産のチャラス(通称マラナ・クリーム)は高値で取引され、偽物が出回るほどのブランド力がある。 チャラスにはさほど興味がないが、村の文化に引かれるものがあったので行ってみることにした。 |
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ミニトレッキングマナラへ行くには17km南のジャリが最寄りの町になる。マニカランからはバスで45分,クルやマナリーからもそう遠くない。 かつては、ここから6時間程かけて歩いたそうだが、今はダム工事用の道が村のすぐ近くを通っている。ジャリでタクシーをチャーターして、マナラ村への登山口まで向かう。 途中、パルバティ川を渡る所で一回、ダムの横で一回パスポートチェックがある。帰りはノーチェック。道はパルバティ川に流れこむマラナ川に沿って北上する。ダムを過ぎ、舗装道路はジープ道に変わり、しばらく走ったあと緑色の橋(B4 = Bridge four)が右手に見えてくる。そのすぐ手前に滝があり、そこがマナラ村への登山口。 ここまでジャリから45分。かなり距離と高度を稼いでくれた。ここから村まではきつい登りが続く。ゼーゼー言いながら、結局1時間ほどで村に到着した。予想以上のアクセスのよさである。 写真: 左: ジャリからの眺め。この谷の奥にマラナ村がある。ダムから伸びる白い水道パイプが見える。右: この滝の脇が登山道。 |
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マラナ村概要村はマナラ川の西側の丘の上に100戸ほど民家が ならび、その下の斜面が農地になっている。川の先では上流のダム工事が行われており、対岸の道路をトラックが行ったり来たりしている。以前は、村の外で許可を待って村に入る必要があったが、現在はそのまま村の中に歩き進んでもかまわない。 道沿いに進んでいくと、村の広場に出る。 そこでは、老人達が世間話をしていたり、子供達が遊んでいたりする。一見のどかなこの広場は村で重要な事柄を決める議会の場でもあり、紛争を解決する司法の場でもある。世界最古の民主主義といわれる村のシステムは今も続いている。この広場の先のエリアがローアーマラナ、手前のジャリ側がアッパーマラナと区分され、自治的に大きな意味がある。広場の丘側にある2階建ての建物が、ダラムサラと呼ばれる巡礼者の宿泊所で、祭りの時以外はオジサンの雑談スペースになっている。 写真:上: ゲストハウスのある丘の上から見たマラナ村。対岸にダムへと続く道路が見える。左下: 村の広場に集まり何やら会議。 右下: renuka devi。祭りの時だけ人が集まる。 広場のすぐそばにJamlu Devetaと呼ばれるこの地域の神様を祭った寺院があったのだが今はない。2008年1月に大火事があり、ローアーマラナ側の一帯が焼失してしまった。その中にはJamlu Devetaを含む歴史的に価値のある寺院や多数の民家が含まれる。1年経った今、Jamlu Devetaはすぐ近くに新築され、民家の再建も進んでいる。 新しいJamlu Devetaから少し下ったところに、Renuka Deviという建物がある。一見しょぼい民家にしか見えないが、Jamlu Devetaと同じく重要な寺院で、村民でも限られた人しか中に入れない。 家の外観や生活スタイルなどは、ヒマチャルの他の山村と何ら変わりない。朝晩、近くの山へ家畜の放牧や蒔拾いに行くのも日常の風景である。 近隣の村との主な違いは、言語、村独特の民主主義制度、奇妙なしきたりなど。文字のないカナシ語を話し、一夫多妻が許されている。ここではインドの法律ではなく、マラナのルールが適用されるため、マラナ共和国とも呼ばれている。村には売店が4,5軒、モモの食堂が1,2軒、ビリヤード屋1軒ある。店の中には入れないが買い物はできる。 写真: 左上: 新しいメインのJamlu Deveta。ドア近くに鹿の頭が飾ってある。右上: 新築ラッシュのローアーマラナ。伝統的家屋の建設過程が見える。 |
補足火事のニュース
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宿
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アンタッチャブル
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チャラス
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補足
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村の生活
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補足レヌカG.H.の子供。マラナ人でないほうが、西洋っぽい顔立ちだったりするからややこしい。 |
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祭り閉鎖的なマラナの村に、外部の人が沢山訪れる時がある。2月のRenuka Deviの祭りと8月のJamlu Devetaの祭りだ。この時はジャリ、カソールなど近隣の村人やサドゥーなどの巡礼者が大勢やってくる。あまり知られていない祭りもあり、私がいた4月中旬に行われた村祭りでは、昼間は未婚の女性が、夜は若者が、早朝にオジサン達が輪になって歌い踊るというもの。昼間の女性は着飾って華やかに、夜の部の男性陣は半分酔っ払いながら火を囲んで踊る。 写真: 上: 昼間の踊り。未婚の女性が子供を囲んで歌いながら踊る。 下: 祭用の衣装を着た女性達。 |
補足
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帰り
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最後にその辺鄙なロケーションと独特の習慣から、ヒマラヤのシャングリラとも言われたマラナ村。ダム建設の影響でアクセスは格段によくなり、部外者に対する敷居も低くなった。数百年続いてきた村の伝統は、あと何世代もつのだろうか。私にとって、三日間の滞在は有意義で快適なものだった。 マラヤ村はもはや秘境ではない。 |
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