ハセガワ・メモリアル 文化祭を攻略歩き方にも載っているハセガワ・メモリアル・パブリック・スクール(H.M.P.S)。ウルタルIIで雪崩に巻き込まれ死亡した登山家、長谷川恒男さんの遺志を継ぎ、友人の寄付などによって建てられた学校である。ちょうどカリマバードの中心にあり、ランドマーク的存在でもある。この日本人が大きくかかわった学校で、年に一度のParents' Day(両親の日)が開催されると聞き、見学に出かけることにした。 |
旅行時期: 2009年10月中盤
為替: 1ルピー = 1.08円 作成日: 2010.02.07 目次
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ハセガワ・メモリアル明日開催このイベントについて知ったのは前日の夕方。散歩のついでに寄った時、実行委員の生徒達が会場の準備をしていた。Parents' Dayの垂れ幕について聞いてみると、明日(月曜)の11時から5時まで校庭のステージで生徒による出し物が披露されるという。両親の日というのは、授業参観ではなく、文化祭のようなものらしい。実行委員の14才とは思えない大人びた風貌に少し戸惑ったが、確かにH.M.P.S.の制服を着ている。「日本人大歓迎だ。ぜひ来てくれ」という彼らに礼をいい、学校を後にした。 ハセガワ翌朝、11時に行くと、狭い校庭に並べられた席はガラガラ。当分始まる様子はない。折角なので、学校の中を見せてもらうことにした。授業参観はないが、教室を自由に見学することはできる。念のため、校門にいた職員に確認すると、「どうぞどうぞ。この学校はあなた達日本人が建てたんです」と寄付したわけでもない私を来賓のように扱ってくれ.た。 "ハセガワ・メモリアル"を.感じさせるものがいくつかある。一つは校門入ってすぐ、校舎の壁に埋め込まれた記念プレート。ウルタルの山のデッサンの下に、ハセガワ氏の紹介や日本人への感謝のメッセージが刻まれている。右の入口から校舎に入ると、校長室の隣に氏の額縁入りの写真とその下に「The great benefactor(最大の恩人) TSUNEO HASEGAWA 1947-1991」のタイトル。職員室の隣には、過去のイベントの写真が展示されており、その中にゲストとして招かれた昌美夫人の姿もある。さらに廊下を進むと、ウルドゥ語と英語で書かれたハセガワ氏へのメッセージが張られている。タイトルは「ハセガワさん、あなたは永遠に生き続ける」。この学校の礎を築いた氏への感謝の気持ちが、ポエムのような文章で表現されている。開校から10年経った今もまだ、単に「学校の名前」としてではなく、ハセガワさんへの尊敬の念は薄まることなく受け継がれている。 写真: 上: 11時過ぎ。ガラガラの会場。 左: 校舎の壁にある記念プレートと校章。 右: 建物入ってすぐ、校長室手前にあるハセガワ氏の写真。 | ハセガワ
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学校見学学校は二階建てで、一階に職員室や幼稚園児と低学年のクラス。二階に高学年のクラスとコンピューター・ラボ、たかつきたけし記念図書室などがある。各教室の入口には、ギリシャ数字でクラスの等級が書かれ、一学年2クラス以上ある場合は、Blue, Redなどと組分けされている。基本的にクラスは男女共学である。 廊下や教室の中では、まだ校庭に出ていない生徒がたむろしている。今日の出し物用の衣装を着た生徒が大半だ。お嬢様風のコスチュームや、民族衣装風、お化けのような格好をした生徒もいる。 廊下をうろうろしていると、一人の女性徒が自分のクラスを案内してくれた。中は意外に狭く、黒板と古びた長机が数列。公立学校の施設がボロイのはどこの国も同だ。黒板横に張られた時間割と宿題の予定表を見ると、実にシンプル。6年生の赤クラスでは、一時間目は毎日英語、二時間目は毎日ウルドゥー語の授業。宿題は毎日一時間分出される。なぜか教室の壁にDiaryと呼ばれる各生徒のノートが吊るされており、中身は英単語の練習帳になっていた。 先生が「そろそろ校庭に出ろ」と生徒を急かしにやってきた。もうすぐ始まるみたいだ。私も生徒に続いて校庭に出た。 写真: 上:一階と二階をつなぐ階段。左: ガンマン 右: クラスルーム 写真: 左:幼稚園クラス。よく見ると、6年が使う小道具のテレビと宇宙服が置いてある。右: 6年のクラス。一番左が以前、果樹園でリンゴをくれた少女。二番目がスキットで大活躍する大柄な女性、三番目がクラスを案内してくれた女性。 |
学校
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両親の日 プログラムいよいよ開始校庭に出てみると、いつの間にか会場はほぼ満席。観客席はコの字型になっており、上に日よけのテントが張ってある。ステージから見て、左右のサイドが女性席で、ほとんどショールを被った母親で埋まっている。正面には来賓席。その後ろに男性席、女性席と列毎に大雑把に分かれている。イスのない真ん中部分には、低学年の生徒が陣取る。明らかに父兄じゃない人達も中にはいたが、校庭の壁の後ろから見学している若者が多数いるところを見ると、誰でも中に入れるわけではなさそうだ。 基本的にローカルのイベントなので、観光客の姿はほとんどない。私を含めた物好きな日本人が数人いるのみ。来賓の到着が遅れたため、12時にスタート。イスラム教の賛歌の後、校長らしき人がブルシャスキー語でスピーチ。コンピューター・ルームの導入など、ここ最近の成果を必死で父兄にアピールした。そしてお目当ての出し物が始まった。ステージ上では、主に歌や踊り、ミニドラマなどが各学年(かクラス)毎に披露される。プログラムは特に用意されておらず、観客は次に何が来るのかわからない。私は抜け目ないので、進行係の女性の手元にあった予定表をカメラでコピーさせてもらった。 出し物傾向としては、幼稚園児が運動系、低学年が歌やダンス、高学年がドラマ、という感じ。幼稚園児のプログラムでは、私服から制服の早着替え競争、スポンジを使った洗面器から洗面器の水の早移し競争、綱引きなど運動会に近い。歌と踊りの出し物は多いが、太鼓のリズムに合わせて力強く歌うものが印象深い。歌が終わった後、思わず拍手したくなるほど熱がこもっていた。出し物のハイライトといえるのが、ドレスショー。これは、パキスタンの各地方の民族衣装を着てステージまで歩くファッションショー。男女ペアで入場してきて、男性だけステージ前のスペースでダンスを披露してからステージに上がる。着ている衣装とダンスは全く無関係で、各生徒、自分の得意なステップで踊る。見た目ヒップホップ系。スケジュールが押しているにもかかわらず、のんきに15組も登場した。 写真: 上: 演目#11 スポンジ・レース。左: 演目#15 カッワーリー。心に響く力強い歌声と太鼓のリズム。高揚感がこちらにも伝わってくる。右: 演目#19 Sord Dance。 写真: 左: 演目#20 ニューテクノロジー by 6年の生徒。テレビに見立てた箱の中から、パキスタンテレビ、中国のテレビ、BBCのパロディを演じる。定番の中国語の物まね、オバマや月面からの中継など無茶苦茶な内容。 右: 演目#28 ドレスショー。男はソロでダンスをしてからステージに上がる。 |
プログラム
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ドネーションドレス・ショーの後、端折り気味に進行し、予定通り5時に終了。37演目の怒涛の5時間だった。観客が退散し始める。ほとんどの人は5時間ずっと座りっぱなしで疲れ気味。近くに座っていた男性が、「ランチがあるけど食べてく?」というのでついていくと、校舎の二階の会議室のような広間で、ビリヤーニのビュッフェが用意されていた。この日、見学に来ていた父親や兄弟など男性陣がぞろぞろ入ってきて、セルフサービスで食事を始める。みんな相当腹が減っていたようで、準備されていたチキン・ビリヤーニはあっという間に無くなった。そういう私も3皿いただいた。 帰リ際、ハセガワさんの写真の前を再び通りかかった。写真のすぐ下にはドネーション・ボックスが置いてある。せめてビリヤーニの分でも...と赤い札一枚箱に入れた。近くにいた職員に聞くと、寄付金は現在、隣に建設中の新しい校舎に使われるという。遅ればせながら、これで私も「寄付した人」の一員になった。 これからは胸をはって「ハセガワ・メモリアル・スクールは我々日本人が建てたんです」と言えそうだ、多分。 |
補足
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