ラホール・ストリート・ジャーナルパキスタンでは、道を歩いているだけで、呼び止められチャイを勧められる。そんな出会いが街歩きを楽しくさせる。ラホールには、旧市街を中心に特徴ある通りがいくつかあり、見所も多い。そんなラホールの道歩きを紹介してみたい。 |
旅行時期: 2009年11月中旬
為替: 1ルピー = 1.07円 作成日: 2009.02.10 目次
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フードストリートラホールには、フードストリートと呼ばれる食堂密集地帯が2つある。ひとつはゴワル・マンディ(Gowal Mandi), もうひとつはアナカリ(Anakali、通称ツーリスト・ストリート)にある。共に、昼間もやっているものの、日没後が本番。ガイドブックは、ゴワルマンディのほうを中心に紹介しているが、道の交通量も多く、それほど盛り上がっていない。一方、アナカリのほうは、夜間、車が入り込めない上、道幅も広く店も多い。店先のスペースには、オープンキッチン、食材、テーブルが並べられ、一見、東南アジアのレストラン街のように見えなくもない。これは、南アジアとしては結構めずらしい。客は地元の人が中心。主に各種肉料理や川魚の揚げ物など。マトンの臓物の混ぜ合わせ鉄板焼き(250)を注文し、その日の夕食とした。 写真: 左: アナカリ・フードストリート。右: 蒸す前にマトンの臓物を切り刻む。 | 補足
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リーガルチョークから旧市街へモール通りからスタートバックパッカーの多くは、リーガルチョーク(Regal Chowk)にあるリーガル・インターネット・インに泊まるようだ。私自身はこの辺りに泊まったことはないが、便利そうな場所ではある。手前のモール通りは、ラホールのメイン道路で、GPOや裁判所など政府系機関が点在する。また、近くにATMや本屋もいくつかあり、旅行者のニーズに合っている。ここからスタートして、旧市街まで北上する道を歩いてみたい。 モール通りを越えると、何やら人通りの多い商店街がある。これが、ホール通り(Hall Road)で、携帯電話、カーステレオ、テレビなどを扱う店が並ぶ。いわばラホールの電気街。中には、モスク用と思われる拡声スピーカーを扱っている店もある。この辺は、賑やかだが、大して面白くない。 家電、カメラ、ランチさらに進むと、家電店はなくなり、大きな通り(McLeod Road)に突き当たる。これを越えると、再び家電店が両側に現れる。今度は、テレビに加え、洗濯機、業務用の湯沸かし器など大物家電を扱う店が並ぶ。さらに進むと、店がなくなり、直進する道と右手側に折れる道が出てくる。右手に進むと、すぐにカメラ屋だらけの通りに出る。これが通称、ラホールのカメラ通り、パキスタンで一番のカメラ専門街らしい。現像屋に加え、中古、新品カメラの販売店、カメラの修理店などがある。私も一度、ズームが壊れたデジカメを修理した(即日、1000ルピー)。カメラ通りは、ニスベット通り(Nisbet Road)まで続く。ニスベット通りを渡ると、そこがゴワルマンディのフードストリート。いろいろな店があるので、ここ小腹を満たしておこう。 ハシゴ、墓石ニスベット通まで戻り、右手の方向に進む。すぐに、4,5mの高さの梯子が沢山並んだ通りに出る。この辺りには、竹製品を作る工房が集中している。さらに進むと、交通量の多いサーキュラー・ロード(Circular Road)に出る。右側にはミーザン銀行(Meezan Bank)がある。この通りを渡った左側には、墓石の工房が3,4軒あり、職人が墓石に彫りを入れている。 写真: 上: カメラ通り。左: ハシゴ製作所。右:墓石に彫りを入れる職人。来た道に戻り、北進すると、そこが旧市街のシャーアラム門(Shah Alam Gate)。この道は、旧市街の中心を南北に走る道路で、交通量が多い。道沿いにはしっかりした建物が並び、店は多いものの、特に特徴はない。ただ、脇の道の中に入っていくと、古い建物、曲がりくねった道、狭い道に並ぶ商店街など、旧市街の雰囲気を味わうことができる。この道をそのまままっすぐ行くと、次に紹介する東西道に合流する。アイスクリームから墓石まで、バラエティ溢れるルートであった。
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補足
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旧市街横断Old Cityかつて城壁で囲まれていた旧市街。今は、一部の壁と門しか残っていないが、入り組んだ道や古いレンガ造りの建物、活気のあるバザールなど、そのエッセンスはそのまま残っている。旧市街の中には、基点となるルートが2本あり、一本は西のタクサリ門(Taksari Gate)から入り、東のデリー門のに抜ける道。便宜的にこれを東西道と呼ぶことにする。もうひとつは、南のシャアラム門(Shah Alam Gate)から入り、東西道まで続く道。この通り(シャアラム通り)を南北道と呼ぶことにする。旧市街の内部はどこも面白いが、特徴のある場所は、東西道の近辺に集中している。それでは、東西道に沿って旧市街を横断してみたい。 靴、太鼓、ドレス、装飾品スタートはタクサリ門(Taksari Gate、門はない)。入り口近くに緑色の廟のようなものがある。歩いていくと、すぐに道は二手に分かれる。右側の道が靴屋密集地帯で、通りに数十軒靴屋が並ぶ。主に女性物の靴を扱っていて、靴のディスプレイも華やか。靴屋通りを過ぎると、右手に南に伸びる道があり、この道は旧市街南のバッティ門(Bhatti Gate)までつながっている。そのまま西に進むと、右に映画館(Tarramum Cinema)が見える。ここでは、ややセクシーな映画を上映している。この付近は食堂が多い。さらに進むと、太鼓や弦楽器など伝統音楽の楽器を製造、販売する店が何店か出てくる。 その後、道が二又に分かれ、ここも右側に進む。しばらくすると、左側にレンガ造りの茶色の大きな建物が現れる。これは、かつての水道施設で、今は両脇が公園になっている。ここはT字路になっていて、南側の道は、グンティ・バザール(Gumti Bazzar)と呼ばれている。この先、東西道から離れて、少し寄り道する。右に曲がり、グンディ・バザールを進む。ここには靴の製造関係の店がいくつかあり、靴の足型、素材や装飾品、業務用の糊(青いタンク)など、それぞれ専門店が軒を連ねている。 写真: 左: 楽器の工房。右: 女性物の靴の生地を売るお店。少し歩くと、右側にやや豪華な白い建物が見えてくる。これは、有名なHaveliのひとつで、大きな建造物なので、見逃すことはないだろう。この先すぐ、左手側にきらびやかな店が並ぶ脇道が出てくる。これが通称、レディバザール。女性物のアクセサリーやドレスを扱う店が並ぶ。ラホールは、旧市街に限ったことではないが、女性が外に出て買い物する姿を良く見かける。この通りの主要客ももちろん女性である。レディバザールを進むと、道が3手に分かれる。一番左は、同じような女性向け商品の店が並び、東西道に合流する。真ん中の通りは、ゴールド・バザールと呼ばれ、アクセサリーなど金製品の店が並ぶ。一番右の道は、シルバー・バザールで、こちらは銀製品が売られている。 写真: 左: Lady Bazzar。右: Silver Bazzar。鍋、ベッド、モスク、スパイスゴールドバザールを抜けると、南北道の近くに出る。この辺りは、出店などあり、ごちゃごちゃしている。東西道はすぐそばにあるが、ここはそのまま直進する。出店を横切り、南北道を越えると、鍋などキッチン関係の商品が並ぶ通りが見えてくる。このキッチン通りを進んでいくと、ゴールデン・モスクの脇に出て、東西道に合流する。ゴールデン・モスク(Sunehri Masjid)は、金ずくしの建物だったが、シーク教徒が、まるごと持ち去り、アムリトサルにゴールデンテンプルを建てたという話だ。モスクの少し手前、右側にはパンジャビの伝統的ベットを製作する工房があり、職人がベットを編む姿を見ることが出来る。ベットだけでなく、小型の椅子も製造、販売している。 写真: 左: キッチン・ストリート。右端の丸い壷は、確か結婚式などで使用するものでレンタル可能。右: パンジャビ・ベットを作る職人。綿やナイロンの紐で編んでいく。一日中この姿勢。再び東西道に沿って進む。ここから出口のデリー門まで店が続く。この商店街はカシミール・バザールと呼ばれていて、女性用の服の他、いろいろな物が売られている。大きな店が多く、夜遅くまでやっていて、夜市のような華やかさがある。この通りには、観光スポットが3つあり、先述のゴールデンモスク、さらに進んで、タイル地の壁に味のあるワジルハン・モスク(Wazir Khan), かつての公衆銭湯であるシャヒ・ハマム(Shahi Hamam, Royal Bath)がある。シャヒ・ハマムの横の通りは香辛料の店が並ぶスパイス・マーケットになっている。ここからデリー門まで歩いて、旧市街の横断は終了。見所が10以上ある、盛りだくさんのゴールデンルートであった。 写真: 表紙: ゴールデン・テンプルの階段から見下ろしたカシミール・バザール。左: 夜9:30でも元気なカシミール・バザール。右: デリー門。 | 補足
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靴供給基地街の主要産業旧市街を歩いていて気づくこと。それは靴に関連する店の多さ。実は、旧市街は、靴の製造、問屋、小売の集積する一大靴供給拠点なのである。 先述のタクサリ門近くの靴屋街は序の口で、ラホール・フォートの東側2本目の道から東西道まで、靴屋だけが300軒以上並んでいる。この辺りは、モティ・バザール(Moti Bazzar)と呼ばれていて、問屋街のような役割を果たしている。地方からバイヤーが買いつけにきて、購入した商品はポーターが大通りまで運ぶ。カートを持たないポーターは、頭上に靴を数十箱載せて、混雑した道を器用に進んでいく。 靴屋は、上記の2つの通りに固まっている傾向があるが、製造用の材料を扱う店は、そこら中にある。では、肝心の靴工場はどこにあるかというと、それも旧市街の中にある。その辺の古い建物が工場なのだ。旧市街を探索中、ガイド経験豊富な男性に出会った。靴市場について話をするうち、彼の友人の靴工場を見せてもらうことになった。 写真: モティ・バザールで靴を運ぶポーター路地裏の工房靴工場は、大通りを一本入った、どこにでもありそうな建物の中にあった。1、2階部分は、出荷待ちの靴箱が積み上げられており、3階部分が30畳ほどの作業場になっていた。職人は10人程おり、デザインに沿って生地を切る人、外側の皮と内側の生地を縫い合わせる人、それをトンカチで叩いて接着する人、かかと部分を縫い合わせる人、そこをプレスして接着する人、それを足形にはめて成型する人、それを靴底に固定する人、接着した部分に色を塗る人、などと細かい分業制で靴が出来上がっていく。パキスタンは決して貧しい国ではないが、こういう家内制手工業的な工房がまだまだ幅を利かせている。できあがった靴がここから全国に流通されていくと思うと、何か感慨深いものがある。 写真: 左上: トンカチで2つの生地を接着する人。右上: 縫い合わせた踵の部分をプレスしてなじませる人。左下: 皮を足型にはめる人、右下:靴底の上の部分に色をつける人。 |
補足
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世界遺産と赤線街世界遺産であるラフォール・フォートの裏側に、歴史ある赤線街があるのをご存知だろうか。イスラムの国でこのような風俗街が存在するのは、非常に稀である。ヒーラマンディと呼ばれるこの地区は、旧市街の北の端にあり、先述のタクサリ門から行く道と、フォートから直接行く道がある。 フォート側からラフォール・フォートとバドシャヒ・モスクの間の道をそのまま南に進むと、旧市街へ抜ける門がある。せっかくなので、入場無料のバドシャヒ・モスク(Badshahi)を見学することにする。ここは、世界で5番目に大きなのモスクで、中庭に10万人入れるとも言われている。雰囲気がデリーのジャマ・マスジッドに少し似ている。 その日は金曜日、2時の礼拝の時間には、多くの信者が来るだろうと期待していた。しかし、時間になっても、広いモスクは閑散としている。通りがかった学生に聞いてみると、テロを恐れて、みんな人の集まる場所には行かないらしい。ただし、ラマダン明けなどの特別な日は、6万人を越える人が詰め掛けるとのこと。 写真: 金曜2時のバドシャヒ・モスク。建物まで行かずに、広場の真ん中にある池の上でお祈りをする横着な人々。なぜか全員、池の淵の大理石の部分に乗っている。Cooco's Den 物語礼拝後、南の門を抜けて、旧市街へ行く。門から出たところに、Hote Fort Viewがあり、その前の道を右に進むと、ガイドブックにも載っている高級レストラン Cooco's Denに出る。このレストランのオーナーであるイクバル・フセイン氏は、この街で売春婦の家庭に生まれ育った。実はこのレストランも彼の家を改修したもの。画家として活動しつつ、この地区の住民、特に売春婦の代弁者として、政府の方針に物言い続けている。 Haveliっぽい趣のある建物に入ると、一階の入り口ホールには氏の作品が並べられている。すべての絵は、娼婦をモチーフにしており、どこかに女性が描かれている。レストランは屋上にあり、バドシャヒ・モスクとその中庭を見下ろすことができる。メニューを見ると、見事に高級レストラン価格。ただし景色や雰囲気も高級なのだから文句は言えない。 写真: 左: 一階のギャラリー。1枚100万円はするという。この奥の階段を上り、レストランへ向かう。右: 屋上のレストラン。夜、モスクはライトアップされる。Red Light Districtさて、 問題の赤線街。ロンプラ(2008)によると、ヒーラマンディ(Heera Mandi)はダンサーが多く住む地域。踊りはパキスタン流のベリーダンスで、ムルジャ(mujra)と呼ばれている。彼女らはダンスショーの傍ら、売春も行ってきた歴史がある。 Cooco's Denから南に歩いてヒーラマンディに向かう。すると、すぐに東西道の映画館に合流した。この辺りもヒーラマンディのはずだが、怪しい店など見当たらない。適当にブラブラしていると、ポンビキのオジサンに声をかけれた。どうもCooco's Denと東西道の間がそういう所みたいだ。女性は近くの建物におり、そこまで彼が案内するという。赤線街といえど、飾り窓や派手なライトもなければ、ダンスショーもない。パキスタン随一の風俗街は、言われなければわからないほど普通の街だった。 シンデレラとMusical Groupもうひとつのルート、タクサリ門からここにくる道には、また別の見所がある。先に旧市街横断の所で紹介した、最初の靴屋との分岐で、左の道を進む。すると、すぐにシンデレラの馬車のようなものが道端に並んでいる。これらは、結婚式などに貸し出される馬車で、近くに事務所と馬車の工房がある。その後、再び、二又の道が現れ、右の道が映画館前に、左の道が赤線地帯につながる。右の道を進むと、派手な看板のMusical Groupの事務所が立ち並ぶ。微妙な派手さに少し期待してしまうが、おそらく普通の音楽事務所。結婚式や何かの行事に伝統音楽の演奏チームや現代風のバンドが派遣されるのだろう。通り沿いにはシンデレラ馬車の馬小屋もある。 写真: 左: シンデレラ馬車。屋根のないモデルもある。右: Musical Groupの事務所。遅い時間から営業を開始する。最後にこの音楽事務所のの辺りもヒーラマンディだとすると、かつてのダンサーと、その背後で演奏していたバンドは、同じ地域の住民ということで辻褄が合う。伝統楽器の店も何か繋がりがあるのかもしれない。とはいえ、表面上は健全化しているようなので、裏の話はよくわからない。 ラフォーレ・フォートが今の形になったのが1566年, バドシャヒ・モスクが作られたのが1674年。赤線街とどちらが先だろうか。フセイン氏によると、地方からバドシャヒ・モスクに来た人は、真っ先にヒーラマンディに寄るらしい。人が集まる場所で、この手の商売が繁盛するのはどこも同じだ。いずれにせよ、世界遺産のすぐ後ろに歴史ある赤線街あり。まだしばらくの間、ひっそり生き延びそうである。 |
補足
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あとがき夜中にモティ・バザールから出てくると、警官に呼び止めれた。近くのモスクが臨時の詰め所になっており、そこに連行されいろいろ質問された。どうも、テロに対してかなり敏感になっているようだ。パスポートを持ってなかったので、ホテルに電話して身分を確認してもらう。本人確認が終わると、まあ悪かったな、と言わんばかりに、職員の夕食に招待してくれた。クリケットの試合を見ながら、キーマカレーとキャパティを食べる。食べ終わると、では私はこの辺で...と旧市街を後にした。もちろん、こんなことで街歩きをやめる訳もなく、翌日も元気に歩き回った。 パキスタンにはもうひとつ、有名な旧市街がある。現在、テロ続発中のペルシャワールである。ラホールで十分楽んだたため、運試しに行くことはなかった。治安が改善された日には、ぜひ訪問し、ペシャワール・ストリート・ジャーナルを発行してみたい。 |
補足
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